この作品、まさか地球の裏側で再現する日が来るとはね。
車に石を詰める作品は10数年前に神奈川の藤野で作ったんだけど
こんな日本人が誰もいない場所から作ってくれと言われるなんて、本当に不思議です。
キュレーターから「今日は石が来ないから制作は明日にしようぜ」と言われ、早くしろよと思いつつ
ホテル(とみんな呼んでるけど単なる民宿)に帰って洗濯。
その後、ヒマなので自分の作品を置く場所に行ってみた。
何故かオレが細工した車と石が既に運び込まれている。「意味わかんねー」
しょうがないので夕方7時半だけど、日が沈むのは11時だから石の詰め込み開始。
途中で 元日本人 という年配の日本語を喋る方が現れた。朝鮮を植民地化していた頃に日本語を覚えさせられたという。びっくり。
一週間ぶりに生日本語を聞いたので、お話しを聞いてみたのだけれど、かなり博学の方です。
ヤマトというのはミャンマー語 山の人 という意味と合致する事や、朝鮮の壬那(みまな)はミャンマーとも読めるとか
大和朝廷の起源はミャンマーから渡ってきたのではという説を唱えていました。
スウェーデンだよな、ここ。
奥さんに急かされて帰ってしまったけど、もっと御話をお聞きしたかったです。
お久しぶりです。面白い話ですね。
そして、久保田さんにはいっつもそういう面白いことが降ってかかってきますねー。うらやましー!
すごい!スウェーデンにそんな方がいるとは!!
私が台湾で会ったおじいさんも、かなりの高齢と思われたのに、日本語ぺらぺらで軍歌を何種類も暗唱してました。普通に考えてそんな何十年も前の一時期に覚えたことなんて忘れてしまうだろうに、覚えてらっしゃるということは、やはり余程強烈に教育されたんでしょうね。私たち日本人は戦争というと自分たちは「被害者」と思ってますけど、各国に日本の軍国主義時代の被害者って、ちらばってるんですよね。複雑な気持ちです。
初投稿です。海外での久保田さんの活動をたのしみにしています。
たみちゃん
そうでもないよ。面白くない事は書いてないだけ。
だって大半は工事現場だぜ。
ゆかちゃん
そうだね。複雑な心境だよ。
その時自分は生まれてもいなかったのに、その方に「すみませんでした」と言った瞬間、妙な気分だった。
「そんなこと言わないで」と言われた。
どうしていまだに綺麗な日本語を使えるのかは本当にわからない。
今日は移民の人達やジプシーと話した。
バーチー
オレは日本よりこっちの方が向いてるのかもしれん。
理事長業務、まったくしてなくて申し訳ありません。