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寿司ディナー
2007年02月26日

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この週末、フランクフルトからミハエルと娘のゾーイ、同居人マントラの彼女ニコラが来ています。だから、家の中は急に賑やかになりました。ミハエルとマントラは、数年前、日本に来ていた事があって、先輩の吉岡さん伝に知り合いになりました。その頃、バンブーストゥーディオ(竹薮だったから)と、彼らに呼ばれていた、現久保田組スタジオでバーベキューパーティーなどしたのは、懐かしい思い出です。その後も交流が続いており、今に至っています。

初めて、彼らに会った時は、私は本当に英語が出来なくて、会っても、ひたすら酒を飲み続けるしかありませんでした。外人が苦手だったし、何を考えているのか、わからなかった。今でも、ドイツ語だけの会話になると、ほとんどわからないけど。ゾーイ(4歳)の言ってる事は、少しわかる。それでも、ベルリンに来た当時よりは、確実?に語彙は増えています。諦めさえしなければ、必ずなんとかなると思って、頑張ってます。

昨日の夜は、主にフランクフルト出身の、今はベルリンに住んでいるアーティスト達のパーティーがあったんで、彼らと一緒に行きました。朝まで続きそうだったんで、午前3時頃、ミハエルと一緒に、隣の部屋で寝ていたゾーイを連れて帰りました。音楽がガンガン流れていても、彼女は余裕で寝ていた。末恐ろしい。

今夜は、彼らが帰る最後の晩なので、この間ケンちゃん家で見た巻き寿司を、彼らに作ってあげることにしました。私が作ったのは、相当ななんちゃって巻き寿司で、途中から手伝ってくれたミハエルの方が、はるかに上手だったんで、恥ずかしかったです。それでも、喜んでくれたみたいだ。ネットで作り方を見て、初めて作ってみたダシ巻き玉子は、結構人気があった。この二日間で、ドイツ語が1ミリ程上達したのではないかと思います。

ムサムラ異変
2007年02月21日

どうも、産む機械久保田です。最近、武蔵村山周辺が何やら盛り上がっているとか。ミュウなんとかという超巨大店舗や、なんと憧れのジョイフル本田もオープンしたとの事。この間、日産が無くなったかと思ったら、いつのまにかスゴい回復力だね。この調子だと、モノレールが伸びて来るのも時間の問題だぞ、これは。我が久保田組スタジオも、これからは電車通勤、駅から5分の時代に突入も夢じゃない。

ちなみに、オレが竹薮開墾を始めた頃は、周りにはそんなの無くて、もっぱら十兵衛(金物屋)だったけど、一年位してコメリ(ホームセンター)が歩いて3分の場所に出来た。それだけで、超大喜びだったのが懐かしいです。ムサムラ中央の魁、コメリさん負けずにがんばれ。

周りの畑が、どんどん住宅に変わってきちゃったし、スタジオ周辺も、のどかな風景が次第に変化していることでしょう。ひょっとしたら、このムサムラ異変も、このくらいで止めといてもらったほうが、俺たちマイノリティーには、都合がいいかもしれねえぞ。竹を伐ってるだけで、オウム真理教が来たと言って、警察に通報するような住民もいるからね(久保田組スタジオ物語 第四章 参照)。そのうち、追い出されちゃうかも。

ベルリンにいながらにして、ムサムラの情報が入って来る、スゴい時代だね。指の筋肉を1ミリ程動かすだけで、世界中の事をわかったような顔をしている、ハンカチ王子、OZMA久保田です。もう、古かったですか?

Flohmarkt
2007年02月18日

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今日も、スタジオに行って、鉄骨と格闘しておりました。元々いいかげんな人間であるのにも加えて、スタジオには、定板(じょうばん  鉄とかを加工する時に、垂直水平の精度を出す為に普通は必要な、真っ平らな鉄板の事)が無い。私が使ってる鉄骨は、デカ過ぎて、角度切り出来る低速カッターに乗せられない。よって、手持ち巨大グラインダーで、原始的にブッタ伐る事になります。よって歪む。いいかげんな人間。

この悪循環により、後からひずみが出てきました。今日は、オーレ先生から、konsequent (首尾一貫した、妥協を許さない)というドイツ語を教わる事になりました。それにしても、工房の床、デコボコし過ぎじゃないか?結局、時間をかけてやった仕事を、後日やり直す事にした。今日は、戦意も喪失したんで、帰る事にしました。

D-Cs工房のトイ面の倉庫で、Flohmarkt(のみの市)をやってたんで見に行ってみた。入場料2ユーロも取られた。中は、かなり広く、色んな種類のモノを売ってます。ここはモロ旧東ベルリンなので、DDR関係の品物が多く見られました。どう見てもガラクタにしか見えないものも、結構あるけど、モノを大切にするドイツ人は、そんなものでも買って行って、使ってるんだろう。

今回は、何も買わなかったけど、2ヶ月前くらいに来た時、DDR製溶断機を買いました。15ユーロと言われましたが、値切ったあげく、7ユーロになったので驚きました。今は、部屋のオブジェになってるけど。Uボートのプラモデルは、なんとたったの2ユーロだった。そんなにおしゃれなものは無いけど、安いし、結構楽しめましたよ。

もう大人なんだし
2007年02月15日

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この間、寒波の影響で降り積もった雪が、もう2日後にはウソの様に消え去り、元の暖冬に戻ったベルリンです。恐れていたスタジオの寒さも、大したことはなく、快適に制作している毎日です。Dead Chickensの人達は、オーストラリア公演に行っていて留守なので、今日は孤独な作業を黙々と続けていました。作品は、かなりの所まで進んできました。発表は5月頃になりそうなんで、日本からも、私のファンの方は、是非見に来ていただきたいと思います。

一人で作業をしていると、孤独なので、いろいろいらん事を考え始める事が多く、過去の恥ずかしい思い出等思い出し、一人で赤面などしている事があります。先日も、広島市立大学出身でバイセンゼー美大のガストになるアッ君が、広島風お好み焼きパーティーを開いてくれたので、参加しました。宴も佳境に入り、誰かが私の刺青を生で見たいと言い出したんで、仕方が無く服を脱いで、それを見せました。そのついでに、酔っていたので腹の贅肉を使った”幼虫踊り ”まで披露してしまった事は、悔恨の極みです。もう大人なので、そういう品格を問われる様な行為は、慎みたいと思います。

楽しかったけど。  お前は幼虫だー。

普通の冬
2007年02月09日

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やっと、ベルリンにも普通の冬が来ました。何百年ぶりかの暖冬の影響で、ずっと暖かかったのですが。
今朝は、雪が積もっております。私が住んでるミッテ周辺では、少しまだ暖かいので、雪は消えていたけど、郊外にあるスタジオの方は、寒い。ご覧のとおりの雪景色になっております。

この場所は、東欧やロシアで見られる、ダーチャという小さい別荘の密集地で、庭に家庭菜園も見られます。多摩川の土手にある菜園が、グレードアップした感じです。電気や水道も来てるので、夏などは快適と思います。各家庭が、こういう小さな別荘を持っているなんて、なんて素晴らしい環境なんだろう。オレも作りてえな。

奥に見えてる、無味乾燥な巨大なビルは、独裁政権時代に建てられたものだと思います。これが無ければ、のどかな風景なんだけどね。とにかく、寒い。スタジオも、かなり寒くてつらくなって来た。

一時帰国を終えて思う事
2007年02月06日

さっき、ベルリンに帰ってきましたが、時差ボケで全く眠れません。帰国中、あまり真面目に書けなかったんで、ちょっと書いてみます。

今回、助成金の面接を受ける為に帰国しましたので、短い期間でしたが、今まで御世話になってきた方々と話す事が出来たり、新しく出会いがあったりと、とても有意義な時間を過ごせたと思っています。すごく楽しかったし、酒も飲みまくった。もう、居酒屋にしばらく行けないと思うと、つらくて涙が出そうです。

これまで、私は制作する事ばかり考えて、日本でのアートを取り巻く環境や、人との繋がりをほとんど重視していませんでした。いいものを作れば、みんなわかってくれると信じているのは、今もかわらないけれど、やはり、一般の人達にアートへの関心を、もっと持ってもらう事が必要で、それが無いといくらやったって、反応が無くてつまらんのです。多分、そういう活動を地道にやってる人は、沢山いるんだろうけれど、私はほとんど見えていなかった。わけのわかんねえモノを、誰も来ない所でふんぞり返って、すげえだろうと言って見せてたんじゃ、知ってもらえるわけないよな。

助成金をもらって、自分の時間を持てているので、こんな素晴らしい事が、ボクにも言える様になりました。感謝します。

あと、これまでワケもわからずにやってきたスタジオ建設が、この辺に来て、沢山の作家が集まる事で、少しづつではあるけれど盛り上がって来ているのが、今回嬉しかった。電気の力はすげえなあ、やっぱり。環境は人を変えて行きますよ。このまま、いい流れを維持して、小さいながらも何らかの、拠点になっていくことを祈っています。そういう長年の小さな活動や、名も無いヤツらの尊い犠牲が、やがて大きな藩を動かして、倒幕に繋がっていったんだぜ、強引ですが。

飛行機の中で、時代小説をよみふけるのは、初めて外国に行った時から、習慣になっているんだけど、これが何故か楽しい。今回は、藤沢周平の「回天の門」。明治維新の土台を、変節漢、山師、策士と呼ばれながらも築いた、草奔の士 清河八郎 の物語だぜ。いやー熱い、実に熱い。今回の帰国で、いろんなヒーローに出会えたよ。オレの、前世はミジンコだぜ!

文化庁面接
2007年02月01日

面接の為に上野の日本芸術院会館に行って参りました。午後1時からだったのですが、少し早くついてしまったので、会館近くにある、彰義隊(上野戦争で大村益次郎率いる官軍に敗れました)の墓にお参りしておきました。今回の帰国は、明治維新オンパレードです。圧倒的な兵力を持っている官軍に立ち向かった、彰義隊士の勇気に比べれば、面接の緊張など屁でもないなと自分を勇気づけながら、会場に行きます。

ある経験者の話では、面接官が30人位いてびっくりすると聞いてましたが、10人位でした。そんなわけねえと思ってたけどね。とりあえず、大きな声で、はきはきと聞かれたことに答えたつもりです。結果は、どうなるかわかりませんが、こればっかりはわからない。祈るのみ。

月曜日に日本を発ちます。君の知らない異国の街で、君を思えば泣けてくる by 尾形大作。