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2006年さん、忘れません    地獄から天国へ
2006年12月31日

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今年が始まった時、オレは何をしていたかというと、ただひたすら働いていました。一昨年、パリから帰って来てからは、以前からの仕事のつては無くなっていたんで、知り合いに頼んで、仕事をまわしてもらったり、お手伝いでアルバイトさせてもらったりして、なんとか食べていた状態。竹やぶ開墾以来の、つら〜い時期でした。止まりそうな自転車を坂道で、じっと漕いでる感じで、毎日焦っていました。さっきから、このサイトの自分の日記を読み返して、感慨にひたっているところです。

仕事をまわして下さった方々、励まして下さった方々、酒の席でオレの愚痴を聞いて下さった方々、仕事中に私から「てめえバカ野郎」とどなられた方々、本当にありがとうございました。おかげさまで、こんなところにたどり着く事ができました。だけど、また転げ落ちて来ると思うので、宜しく御願いします。

春頃には、今作ってる作品が発表できると思います。場所はベルリンですが。
面白い作品になるよ〜。来た方がいいよ。      日本で大晦日、うらやましいなあ。        

今夜のテレビ塔
2006年12月28日

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見る度に、宇宙にいるような気分にさせる、ベルリンのテレビ塔ですが、今夜は一段と宇宙人になれました。霞に包まれ、怪しく光ってます。写真いじってない、撮ったママです。

ハンス ハーケ展
2006年12月27日

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オレも、一応アーティストなんで、たまには美術館やギャラリーに、気になる作家の展示を見に行く。今回は、ハンスハーケ。おっと、ドイツ人の作品は解説を読まなきゃ、わからねーのばっかりだから、要注意だ。英語が少しはわかるから、それを見ようと思いきや、ドイツ語の解説しかついてねえぞ。

やられたね、これは。でも、あらかじめ、いろんな日本人に聞いていた予備知識があったんで、勝手な解釈をしながら見て行った。

グッゲンハイム美術館から、ハンスハーケが展示を断られたっていう、グッゲンハイムの理事が持ってるNYの不動産をひたすら調べ、写真と登記簿みたいな書類とで展示した、アメリカの資本主義と、文化的活動との露骨な関係を示した作品。

ベルリンの、東西に別れてた時にあった、東からの逃亡者を撃ち殺すための監視塔の上に、ベンツマークを付けちゃった、「今や自由はわずかなスポンサーの金で買える」とかいう、またまた資本主義を皮肉った作品。

ブッシュの父ちゃん(知ってると思うけど、この人も大統領)と母ちゃんが、洪水で壊れちゃった自分の別荘で、「あーあ」と言ってる横に、本当の超貧乏人の家族の写真を並べたもの等、なかなか強烈なものばかり。他にも沢山ありましたが、まだ意味が不明なものや、説明が不十分にしか出来なそうなものばかり。だから、英語の図録を買って来て、意味を調べ中。まったく骨が折れる。

でも、意味を知らないと、ホントになんだかわからないものばっかりなので、本当にこの作品が水戸黄門かどうかを、辞書を片手に調べます。ううう、つらい。上の写真の作品は、見ただけじゃ全くわかんねえ。はい、わかりました、調べます。

クリスマス
2006年12月24日

この時期は、ヨーロッパの人達は、日本の お盆 に相当するものらしく、駅には実家に帰る人がごったがえしている。マントラも家族とクリスマスを過ごすため、実家に戻った。我々日本人は、その流れに付いて行けないので、家に一人取り残されている人が多いようだ。

そういう日本人が集まって、パーティーをするわけだが、それが何故か連日続いている。意外なもりあがりだよ、それが。今夜も、N氏の家に行き、その後、DCsのKAIがやってるバーに飲みに行く予定。

今後も、忘年会、新年会、電柱式・・・、と宴会だらけなんで、楽しみだけど、肝ちゃんの事が心配だ。オレの肝ちゃんは出来が良いので、つい無理をさせてしまうのです。

祝 電柱式 開催決定
2006年12月19日

念願の久保田組スタジオ、電柱式 の開催が正式に決定いたしました。まだ、正式の日程は決まっていないけれど、来月開催予定。私久保田が、ある奨学金制度に申請を出していて、東京で面接が行われる関係で一時帰国するので、急遽開催が決定しました。待ちかねていた方々も大勢おられると思います。

当日は、御神体である 電柱様 の魂を酒でお慰めした後、盛大なる式典(電柱ぱーてぃー)を執り行うつもりです。関係者並びに御家族の方々におかれましては、日頃の肝臓の鍛錬を遠慮なく御披露していただきたいと存じます。

スタジオ関係者でなくても参加は自由なので、来たい人は御連絡下さい。

ラーメン
2006年12月17日

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磨き上げたトラビーのエンジンを組み立て、土台に据え付ける作業に入っている。これが一番厄介な仕事で、微妙な調整が必要となってくる。オーレは16歳位から、東の精密機械製造の工場で働いてたらしいのでこだわりがスゴい。話し合いながら一緒に作業をしているが、俺の様な、なんちゃって鉄工とはワケが違うんで、いつも叱られている。Dead Chickensの技術担当者。

土台を作るのが、俺の主な仕事なんだけど、土台とか、骨組みの事を、ドイツ語で ラーメン と呼ぶのを最近発見。つまらない感動をしている。日本にいる時、バイトで建築関係の仕事が多かったので、ラーメン構造という言葉は聞いていたが、まさかドイツ語とは・・・。ドイツに来る機会が無かったら、そのまま 拉麺構造 と一生思い続けていたのは間違いない(ちなみにラーメン構造とは、アパートやマンションなど鉄筋、鉄骨を使った建物で、梁や柱を用いた構造の事ですよ)。

厳しいオーレの指導に従いながら、自分の技術力をアップしていく。

schwerシュベアー (つらい、すっぱい)は時間が経つと、suss スーシュ?(甘い)になるという諺が、ドイツにはあるらしいぞ、がんばる。まだ、4時なのに、この暗さは何だ。

2006年12月14日

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先日トラバントから、エンジンを下ろしたのだが、2ストのエンジンは、オイルを沢山必要とするためか、固まったオイルがヒドくこびりついている。あまりに汚いので、きれいにしてやることにした。前日に、オーレと二人で、大鋸屑を使って磨いてみたが、あまり落ちないので、今日はガソリンスタンドに行き、ケルヒャー(お湯と洗剤がジェット噴射で出るアレ)で洗い落とす事にした。

跳ね返り水で、二人ともびしょ濡れになってしまったが、ほぼきれいになった。ピカピカのDDR(東ドイツ)製エンジンが何とも言えずシブい。まだ汚れている部分があるので、明日一日手磨きで磨く事にする。モノには魂が宿っているという神道イズムを、ドイツ人に見せてやらねば。無くなった国で作られた、滅びかけのエンジン、やりがいがある。

ネオナチ
2006年12月10日

スタジオがあるSchoneweideは、ベルリン中心地からSバーン(電車)で、3、40分の場所にある、寂れた場所だ。少し遠いが、東京に住んでた時の事を思えば、屁でもない距離だし、電車も混んでない。毎日そこまで足を運んでいる。最近、Sバーンの駅に武装した警察がよく立っているのを見かけていたが、Schoneweideの駅には、50人程のいかつい警察が立っていた。ヘルメットとか、ニーパッドなどをつけて、これから何かが起こりそうな雰囲気。取材のためか、上空にはヘリコプターが飛んでいた。

Sバーンの駅から、トラムに乗ろうとしたけれど、今日はストップしているらしい。一体何がおこるのか。トラムが来ないのを知ったオバさんが「シャイゼ(糞)」とつぶやいてます。しかたがないので、歩いてスタジオまで行ってみた。オーレに聞いた所、ネオナチによるデモがあるらしい。最近、ネオナチの活動が少し活発らしく、外国人がボコボコにされることもあるらしい。気をつけねば。

彼らは、ほとんど郊外に住んでいるらしい。日本で、右翼とヤクザがミックスしているように、ネオナチと、フーリガンはしばしば同じ人間であることが多いようだ。ポーランドのフーリガンとドイツのフーリガンが、国境の街で決闘した事件もあったようだ。ベルリン郊外には、東ドイツ時代、ベトナム人が移住して来ているし、クロイツベルク以南には、トルコ人や、アフリカのどっかに国から来た人達がいっぱい住んでいて、ドイツじゃないみたいだ。かれらに仕事を奪われたドイツの若者が、ネオナチになっているのか。

ベルリン中心地を少し離れただけで、北斗の拳 Z (ジード)状態のモヒカンを沢山見れるし、赤や緑の髪をしたパンクとか、ロシアから偽造タバコを持って来て売ってる、謎のベトナム人とか見れて面白いですよ。タバコは高級品だから、一箱普通500円くらいはするけど、茂みに隠れているベトナム人からは、200円くらいで買える。こういうベルリンのはみ出し者みたいなのを見るのが、最近楽しみだが、ネオナチには十分気をつけたい。

マイタービー
2006年12月08日

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以前も紹介したけど、Daed Chickensの空圧技術を学ぶかたわら、自分の作品として、旧東ドイツの大衆車トラバント(通称トラビー)を使った作品を作っている。トラビーは、ベルリンの壁崩壊までの間、三十数年間生産され続けましたが、あんまりモデルチェンジとかなかったから、本当に過去からタイムスリップして来た様な車だ。車体は圧縮した紙(MDF)でできてる。強化プラスチック(FRP)でできてると、なんかのサイトに出てたけど、実際見てみると、これはまさしくMDFです。FRP工を何年もやってたオレが言ってるんだから間違いない。骨組みはちゃんと鉄で出来てるけど。

この車のエンジンは、2ストロークで、ガソリンにオイルを混合したものを燃料にしてる。馬力はそんなに無いけど、アウトバーンで120キロ出るらしいから、オレの軽トラと同じくらいの力はあるみたいだ。このエンジンを、動力にして作品を作ってみようと思っている。これは、歴史的快挙だよ!!(だれもわかってはくれないけど)。

エンジンは、かなりシンプルな作りだけど、オレの知識では、バラした後に組み立てるのが困難なので、旧東ドイツ出身のオーレ(D-Csスタジオに出入りしてる)に、本場のテクニックで助けてもらっています。彼は、オレと同じくらいのレベルの英語を話せるんで、ドイツ語を教わりながら一緒に作業してます。オーレは、かなり勤勉だし、技術についてのこだわりがスゴい。溶接技術なんかも素晴らしいので、オレの野生自己流神風溶接をこの間、矯正してもらいました。オレは日本の恥だ、すみません。

とりあえず、一日かけて二人でエンジンをバラすことができた。真面目に乞う御期待だぜ、これは。

ドイツ奨学金事情
2006年12月05日

前から何となく知ってたけど、ドイツはアートへの奨学金が充実してる。詳しい事は知らないが、銀行とか、なんかの企業とか、国の奨学金だのいろいろ。それも額が半端じゃないぞー。このあいだ、マントラに誘われて飲みに行ったのだが、そこに K が来ていて、やたらにカンパイ、カンパイと言うので、何かな〜と思っていたら、ヤツは国から25000ユーロ(約375万円)くらいの奨学金をもらって、来年半年間、中国に行くらしい。半年でその額は無いだろー、それも中国、物価安過ぎ。おまけにK は絵描きだから、材料代とかほとんどかからねー。

飲みながら、いろいろ話を聞いていると、2年前くらいにマントラも貰ってたらしい。そういえば、フランクフルトに住んでる M も、去年もらって南米の変な所に一年間行ってた。Mの奥さんの A は、Kと同じ奨学金とって、2008年にNYに家族で住むって、なんだそりゃー。自分で言ってて意味わからなくなります。

オレの作品、時代に逆行した重量物ばっかりだし、材料代だの工具使用費だの金は出て行くいっぽう。一年たったら、間違いなく無くなる。こっちのアーティスト、奨学金溜め込んで、その後の生活に役立ててるよ。くそー、悔しいけどオレはデカイもの作り続けるよ。

とにかく、環境が恵まれてるってことだよ、この国は。

僧二人
2006年12月02日

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お坊さんが二人で何かしてるとおもいきや、これはノイズミュージックのライブだ。アイルランドで知り合い、金沢のレジデンスでも一緒だった、ミックとアイリーンがこの展示のために、ベルリンにやってきたんで見に行きました。場所は、なぜかDead Chickensのスタジオのある所から100mの所。広いベルリンで、どうしてこんな超東ベルリンのさびれた場所にばかり縁があるのか、不思議でならない。

始まる前に、近所のアイリッシュ風なパブでギネスを飲んだが、やはり本場の味と違って、気が抜けた味だったので、ミックが文句を言っていた。アイルランドで飲む黒ビールは、まじで旨い。来年の3月頃、行く可能性があるんで、今から非常に楽しみにしている。彼らの出身地コーク(アイルランド第二の都市)には、スカルプチャーファクトリー(そのまま、彫刻工場です)という、国営の馬鹿でかいスタジオがある。うらやましくなる環境です。あそこなら、大きい作品だって、楽々いける。なんで、日本にはそういう所無いんだろ。

ライブは、ミックともう一人のアイリッシュアーティストが、コラボレーションをする形で、興味深かったのが、いろんな国から持って来た石を擦り合わせて、音を作っていたところだ。自然崇拝が根強く生きてる、アイルランドならではの発想だ。同じ島国出身、自然も崇拝してる日本人のオレには、何か感じるものがありました。ベルリンでは、週末になるとたいがい、こんなイベントを夜中じゅうやっていて、朝まで飲んでいる事が多いが、意外にも規則正しい生活が好きな、もろ日本人のオレには、少々つらい。

近所で
2006年12月01日

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今住んでいる所は、もろ東ベルリンだった所なのだが、歩いて10分くらいの人気の無い場所で、いきなりプロパガンダってかんじの、超巨大彫刻を発見。高さ10m程はある。大きい通りに面しているけど、本当に人気が無く、ひっそりとした、日本だったら悪ガキがたむろするには絶好のポイント。周りは、東の無味乾燥な四角い建物が並んでいます。

下に何か書いてあるので、なんとなく意味を調べてみた。「Ernst Thalmann(人名)赤の最前線を行く」みたいな事が書いてあった。マントラの話では、Thalmannというのは、1920年代の有名な共産主義者らしい。写真左上にソ連のマーク。

少しずつではあるけど、東の遺産が無くなりつつあるベルリンで、嬉しい発見となった。