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山陰 山城三昧
2010年10月05日

051010.jpg
(超高感度かめら使用)
今、北九州に向かってひた走ってるんだけど、今回は山陰地方経由だぜ。
土日割引と無料区間ばかりだから高速料金は、ほとんどかからねえんだが、下道はキツイ。

まず関ヶ原で三成の陣地、15年振りに訪れた。前回のような全陣地の旗を奪うという暴挙は、大人なのでしませんでした。
その後、姉川の合戦跡地を経由して浅井長政の小谷城に到着。
長政祭みたいのを偶然やっていて、車で城に近付けず、しょうが無いので徒歩で本丸まで。
はっきり言って、これは行ってみればわかるけど苦行です。単なる登山。途中、地元のおじいさんに褒められました。
そして小谷城についていろいろ御話を聞かせてもらいました。いろいろあったけど割愛。

その後、賤ヶ岳の合戦跡を経由して若狭の方に鯖街道を北上。
山名宗前、赤松円心時代の山城、竹田城へ。ここはスゴイ!!マサに天空の城。
気がつけば、道草するたびに山ばかり登らされている。竹田城 とうぃきぺでぃあ で調べろ。詳細は割愛。
飲み屋で俺にきけ。

夕方に北上。パリで英語を教わっていた亜紀さんの地元、豊岡 城ノ崎温泉に泊まる。
宿代が高くショックを受ける。

朝、鳥取方面に出発。道端で見かけた古墳を片っ端から、いちいち車を停めて見ながら、鳥取砂丘へ。
ほんとにラクダがいた。
鳥取城で秀吉に兵糧攻めにあい、その後月山冨田城へ。
ここは山中鹿介の像があるから、どうでもこうでも行きたかった。でも暗くなってきた。
探せど探せど像が無いので、レストランの御姉さんに聞いてみました。
暗闇の中、一人汗をかきながら走り、やっと発見!!供養塔(写真)も発見。手を合わせてきました。
おい鹿之助(Roofマスター)、オレはやったぞ!!
この日は松江で車中泊。いい飲み屋を発見する。

三日目、あいかわらず古墳を見つけては車を停める。出雲大社参拝。隣の博物館に長時間いすわる。
午後、石見銀山へ。
普通の観光客が行かない大久保間道という方から、一人ひたすら登り、発掘をしている人達と話す。
道端で拾った江戸時代のものと思われる 陶片 をその人たちに自慢すると、「持ちかえると犯罪になります」と言われる。

だがそれ以降、銀山よりも陶片探しに夢中になり、下ばかり見て歩く。
20個くらい見つけたが、元の場所に戻しました(うそでない)。
大久保間道を下から石銀ナントカという場所まで、便所サンダルで歩いてくる観光客は、ほとんどいないらしく、発掘作業員達の羨望のまなざしを受ける。
銀山が暗くなり、いそいで下山。

自分でもこの数日間の無計画旅行はすさまじかったですが、明日北九州入り予定です。
久保田流山岳修験者史跡めぐり、けっこうきついです。今、益田ってとこにいる。
出発前にマトロンさんが寿司をおごってくれたのは、もう遠い昔のように思われます。


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コメント
コメント

すごい。日本史ヲタ行脚の鑑のような旅ですね。
しかし、やっぱり修験エキスがものすごく入っていますね。
サンダル履きでの中国山脈登山は危険ですから止めましょう。

石見銀山はそれがしが行った時にはもんのすごい観光客で入れませんでした。悔しい。

この画像にはきっと霊が写っています。

道中お気をつけて。

投稿者: nobulove | 2010年10月05日 23:02

山中鹿介の供養塔、暗闇の中で見つけるのは大変な事でした。
まさに迷路。
でも、暗闇の中で坂を駆け上る寅一を着た男を見た、地元の人の方が怖かったと思います。

石見銀山の博物館は無視しました。
崩れた山道とか竹藪になってしまった住居跡の方がモエるんです。
ボクが登った道は、どうぶつしかいない様な所でした。

多分nobloveさんが行ったのは、世界遺産になったばっかりだったんじゃないですか?

こんど宝を御見せします。

投稿者: kubota | 2010年10月05日 23:22
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