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博多・筑豊2
2006年08月21日

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田川では、石炭のみでなく、コンクリートの原料となる石灰岩の採掘もされている。こちらは、今でも続いているようだ。昔は銅も採れたらしく、奈良の大仏の銅も、ここのものが使われたらしい。

写真の山は香春岳といって、手前から一の岳、二の岳、三の岳というらしいが、見ての通り、一の岳は石灰岩採掘の為にガッツリ削り取られている。異様な風景。この山を生まれた時から見ている人たちは、どう思っているんだろう。ソトヤ君(香春町在住)どうですか?下の写真が、大正時代に撮られた元の形の立派な一の岳。現在のは、やはり異様な光景です。一の岳は登山禁止らしい。博物館の中で見つけた話では、香春岳には戦国時代には、城があったらしいです。今となっては、想像するのも空しい気がしますけど。

上の写真の、香春岳の左下に見える三つの小さい山(見えにくいですが)は、あの有名な「ボタ山」。今は、木か草かわかりませんが、覆われているようです。青春の門では、主人公が登ったりしてた。オレが、この写真を撮影しているところも、元ボタ山らしいのですが、今は平らにして工場誘致などしている場所です。でも、ぜんぜん来る企業がなくて、地元民が夜中にカーセックスをしたり、営業の人が昼寝をする場所となっています。オレは、記念にボタさん(ボタは、石炭と一緒に出てくる、いらない部分)を一個持ち帰り、我が家の便所に飾っている、世界の名石コレクションに加わってもらう事にしました。

田川の人口は5万人くらいだが、最盛期は10万人程住んでいたらしい。ソトヤの話では、炭住(タンジュウ)という長屋が昔はいっぱいあったようだ。つわものどもが夢の後っていうけど、もうそれ通り越してる光景だな、これは。                                    

熊へ、赤池行けなくてごめんな                    つづく

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