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博多・筑豊3
2006年08月25日

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炭坑周辺には、強制連行されてきた朝鮮人と、中国人の慰霊碑がありました。いきなり、家族から引き離され、まったく知らない土地に連れてこられた上に、過酷な労働を強いられ、さぞ無念だったと思います。オレは、韓国のとあるシンポジウムに行った時、80位のおじいさんが流暢な日本語を喋っていたのを見て、日韓併合の過去をリアルに感じた事がありますが、韓国、中国を植民地化しなければ、欧米列強に対抗できなかったにせよ、彼らにとっては悲劇だった事は間違いありません。

田川に住んでる友人Kに、かつて、北朝鮮が攻めてきたらどうするかと、聞いた事がありました。Kは、「裏山に逃げるバイ」と非国民のような事を言っていましたが、こういった歴史を経ている場所に生まれ育った人間ならではの、意見なのかなと思えました。

炭坑周辺を散策していると、街宣車を物置にしているツワモノを発見し、写真を撮ってしまいました。慰霊碑をお参りしている時も、昼間から暴走族がブンブンと走り回っていたし、ここはいったい?と思う事が多かったです。ソトヤは、普通だと言っていた。防空壕を飲み屋にしているところを見学した後、バスに乗る為に、町中へ出たが、商店街の店は、半分くらいが閉まっていて、寂れていた。これからこの街はどうなるのだろう、機会があればまた来るつもりだ。

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