筑豊の赤池のクマん家と、香春町のソトヤん家の中間地点の山中に、偶然古墳を発見したので調査しました。
これは夏吉一号古墳という名前ですが、他にもたくさんあります。
でも、それを表示している看板は小さすぎて、誰もこの存在に見向きもしません。
ソトヤは地元民のくせに知りませんでした。
天皇家の祖先の墓では無いことがわかった瞬間、遺跡というものは国や県から、こういう扱いを受けるわけですが
この古墳はかなり見所が多かったです。中にも入れますが、岩で作った棚が現存している横穴式石室です。
巨石で中空に棚を作るのは、当時では相当なハイテクです。
隣のナントカ町には、土手を掘削して作った水町古墳群もあり見学。
弥生時代後半のものらしいですが、二日酔い気味で書いてあった事は覚えていません。
この写真に載ってる夏吉一号から二十八号古墳がある山は石材が豊富なので、そこから伐り出して使ったものでしょう。石棒や石柱もあるにちがいない。
ここは東洋のカルナックです (なんちゃって)。
歩道に作られていたステンレスの鎖の柵は、所どころ盗まれていました。
きっと、筑豊の悪い中学生が拳に巻きつけて、山中で隣町の中学との喧嘩に使っていると思われます。
ボクも盗ろうかと思いましたが、もう36歳なのでやめました。
古墳調査とはなかなかエグイ写真です。西へ行くほど古いものが転がっているようですね。川石を少し使っているようですが、天板用の石はかなりでかくて立派です。
ここは山の上ですので、見られる丸い石は川の石ではないです。
山のあちこちにこのような石が点在していました。
天板と内部の壁を成している岩は、相当大きかったので、工事の規模がうかがえました。