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趣味は読書
2006年11月28日

こう見えても、私、趣味は酒を除いて考えたら読書です。家では、ほぼ読書をしている事が多い。ドイツに来る前に、古本屋で気になる本を買いあさり、事前に船便で送っておいたので、しばらくは読み終わる事は無い。それもほとんどが日本の歴史小説で、明治維新、戦国時代、南北朝の争乱あたりの小説ばかりで、偏りが激しい。どうしてこんな事になってしまったのか知らないが、その辺の話でないと、興奮できない。これは一種の麻薬の様なもので、現実から逃避する為に読んでいる気もしないではないが。背中に入ってる刺青も、もとはと言えば、この偏った読書の仕方から生まれた様なもので、吉田松陰のかっこいい生き様に惚れて入れたのだ。どうして黒くしたのかというのは、話が長くなるからまた。

たくさん読んでいると、それほど名前は有名ではないけど、すごくシブい生き方をしていた人ってのが結構いることに気がつく。たとえば明治維新なんかで言うと、坂本龍馬が超有名ですが、龍馬まで来るのに実に多くの人が、自分の命や人生を犠牲にしている。そういう人達の話を読むのが結構はまってしまう。

この間死んじゃったけど、吉村昭の小説は、歴史の中に埋もれて行ったシブい生き様の人ばかりを扱っていて、いいですよ。高山彦九郎、水戸天狗党、高野長英、前野良沢など・・・。こういう人達が、維新前夜に肥やしとなったんだぜ。忘れちゃならねえ、読んでみな。  ちなみに今は、海音寺潮五郎の「平将門」読んでるよ。ぜんぜんドイツと関係ないけど。

苦行の日々
2006年11月25日

語学の勉強はひたすら覚える事が多いから、ニワトリの脳にはかなり厳しい。努力以外にこれを克服するすべは無いんですかね。「家で勉強してるの?」とマリオン先生に聞かれましたが、あまりしてないんで、正直に答えました。オレの周りには、勉強のできない人ばっかりが寄って来る。なんでだ?類は友を呼ぶってのは、本当だね。ヤツらは、簡単な英語すらしゃべれないが、オレとは仲がいい。

出来ない人達は、次第に学校に来なくなっている。オレはなんとか踏ん張って、ついてくぞ。くっそー、この歳になって電車の中で単語帳めくるとは、思ってもみなかったぜ。特製の「現場作業用言語単語帳」 動かす ー rucken 重い ー schwer  仕事終わります ー ファイアーアームト(綴りはワカラン)とか作ってみた。三歩歩いて二歩下がる人生は、これからも続くのか。

大移動大会
2006年11月22日

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ここ数日、Dead Chickensでは、スタジオの半分を違う業者が使う事になったので、コンテナや機械など、膨大な量の物を移動している。量が半端ではないので、何日もかかっていて、オレの道具や作品も当然動かす事になった。結構しんどい仕事だし、オレは朝からドイツ語の学校にも行ってるんで、つらい。おまけに、スタジオ内は、長年かけて溜まったホコリがすごくて、仕事が終わった後は、ハナクソが桃屋の江戸むらさき状態になっている。

今日の仕事は、でかいフォークリフトでのコンテナの移動で、何人も手伝いに来てる。コンテナは、見ての通りの大きさなので、作業はとてもキケンなものだ。コンテナの中には、コンプレッサーなどが入っていて、重心が真ん中にあるとはかぎらないので、慎重に作業することが求められ、周りの人間も細心の注意を払わなければならない。 と、思いきや、フォークを運転しているKAIの野郎は、ビールを飲みながらやってる。ヤツだけでなく、来ているメンツは、東ドイツ出身の真面目な人以外は、みんな2、3本はやってる。オレも。実に楽しい人達です。ビールは、いつも冷蔵庫に何本も入ってるから、飲み放題です。プリン体が溜まって、痛風になるんじゃねえかと、心配になります。  ちっちゃい写真の方、ビールを運転席の後ろに置きながら、いいんですか?

最近彼らは、ドイツ語しかしゃべらなくなってしまったので、作業は勘が頼りになる事が多い。日本での長年の現場作業のおかげで、少しは勘が働きますが、やはり言葉がわからないとつらい。重要な所は、DCsに出入りしてるノリオに訳してもらいます。彼は、かなり信用されてる。オレは怪しまれてる。早くドイツ語をマスターしようと思い、単語帳など作り、電車の中でめくっているけど、次の日には忘れている。シャイゼ( 糞!)、バゴーン(巨大なマンコ)という、くだらない単語ばかりが頭に入り、重要な言葉が、まるっきり覚えられないボクです。

1118は、通電記念日
2006年11月18日

とうとう久保田組スタジオに電気が来ました。こんな日は来ないと思ってたけれど、ずっと願ってると実現するものですね、何事も。送ってもらった写真では、立派な電柱が確かに立っている。スタジオ内で、チェーンソーも使えているようです。素晴らしいですね、電気って。

いざ来てしまうと、その前の苦労を忘れてしまうもので、ありがたみが無くなるものですから、今日の日、11月18日を久保田組通電記念日とすることにします。これまでの苦労を偲び、ひたすら酒を飲む日となるでしょう。スタジオ使用者達と大森さんが、そのうちに通電記念パーティーを開くらしいのですが、出席できずに非常に残念です。日本は今頃、どんな晩秋を迎えているんですかね。「げんきですか〜(猪木ではなく、中山美穂風に)」。その空の下で熱燗でも作り、アトリエの庭で一杯やりたいところでしたが。

とにかくよかった。

in Hamburg
2006年11月17日

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ちょっと用事があって、ベルリンからバスで3時間ほどかけて、ハンブルグに行っていました。北ドイツのかなり大きな都市だ。途中、アウトバーン(高速道路)から眺めた景色は、ひたすら広大な農地が続いていて、でかい風車とかあった。ハンブルグでは、フランクフルトの公園で、なんちゃって総合格闘技のような試合をしたピーターの家に泊めてもらいました(吉岡さんのサイト見ると、詳しく載ってます)。そのころ、英語が全く出来ませんでしたが、腕相撲、柔道+レスリングというボディーランゲージを通した友情は、結構生きてるもんだよ。英語、ドイツ語できなくてもダイジョーブ!!(オレは特別、真似しないように)。

昨日の夜、展示をしていたんで、ハンブルグ郊外まで行って来た。何かの事務所みたいな所で、グループ展をしていた。それほどスゴい展示でもないけど、人はかなり来ていた。こっちのオープニングは、飲み会みたいなものなんで、ビールをひたすら飲んでいました。途中で、アーティストがギターでパフォーマンスをはじめ、ライブみたいな、そうでないような空間になった。着ているTシャツも自分で作ったんじゃないかな。旭日旗に「海賊魂」と漢字で書かれていたので、旧日本軍は海賊じゃねえぞと、つっこみたいところだった。

展示も、さほど面白いというわけでもなかったが、駅が近くにあるわけではないこの場所に、これだけ人が集まるのは、アートが普通に根付いているからなんだろうと、うらやましく思いました。タクシーの中で、運転手さん相手にドイツ語の勉強ができました。帰りにピーターとbarに寄って、一杯やってから帰りました。

さっきベルリンに帰ってきましたが、二日もドイツ語学校を休んでしまったんで、また落ちこぼれると思うと憂鬱だなあ。明日も早起きしなけりゃならない。もう、ここに来て二ヶ月も経ってしまった。でも、まだドイツに二ヶ月しか住んでないと言われる事もある。これから先は長いのか、短いのか複雑な気分だ。日本にいたときと同じように、早く起きて、夜まで勉強や制作をしているけど、ドイツ人でそんな人あんまりいないみたいだ。ドイツ人は勤勉とか言うけど、それほどでもないよ。空が暗い、う〜。

キムん家
2006年11月12日

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この間、友人のドイツ人 キム ネカルダ の家に、誕生日パーティーに行って来た。キムと言っても、全く韓国、朝鮮とは関係ない生粋のドイツ人。彼は、3、4年前、日本に来て友達になった。その頃、オレは、もろに労働に励んでた時期だ。長野の実家に帰る用事があったんで、彼も連れて行ってやることにした。軽トラで下道を使って行ったので、かなりハードな思いをさせてしまったに違いない。当時のオレは、英語はThis is a pen.(これは、ペンです。)しかわからない様なレベルだったんで、何時間も身振り手振りを繰り返したのを覚えている。前日、二人とも遅くまで飲んでいたので、かなりきつかった。キムは、半分、拉致状態に感じていたんじゃないかと思う。山梨で 甲州ほうとう を食わせてやった。

やっと、我が故郷、諏訪御射山神戸につき、父親と母親にキムを会わせてみた。外人なんかと、話した事は、ほとんど無いだろうから、驚くかな、と思っていたが、意外にも、普通の日本人の友達が来た時と同じように話していたので、びっくり(当然ウチの親も英語は話せない)。なんか、身振り手振りで、地震について話してたようだ。キムは、そのことが、かなり印象に残ってたみたいで、この間のパーティーの時に、言っていた。ヤツは、最近彼女が出来たようで、このKubotaという男は 「jkefーーjrv@eijoipo.jejfk-¥ 」と説明していました。なぜか彼女はまだ20代前半でかわいい。ヤツは33歳。なんで、あんなノビタ君みたいなヤツがもてるのか、不思議だ、本当に。

パーティーは、オレ以外、全部ドイツ人。飲むだけ飲んで、早めに帰った。

写真は、キムのアパートから以前撮ったもの。もろ旧東ベルリンです。店とかもあまり無い、無味乾燥な巨大な建物が連なってる地域。初め来た時は、かなり怖かった。多分、東ドイツ共産党員が住んでた様な所だろう。東の中では、高級な住宅です。下にある、ビヤガーデンみたいなのとの、ギャップが著しい。共和国時代にベトナム(同じく共産主義だった)から移民してきた人達がやってる、アジアンショップもある。ビルとビルの間の通りの名前聞いて、びっくり。カールマルクス通り だぜ。

北朝鮮崩壊後は、こんなかんじで、共産党員の建物に、韓国のお金持ちが住むようになるのかね?

これを見ろ!!!
2006年11月09日

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アトリエを使っていただいてる、吉岡さんからメールが届いた。こっこれは、なっなんですか。
とうとうその時が近づいてきたんだ。これは電気の分電盤に間違いない。ここまで来ているのなら、もう今までのような、間違いは無いだろう。苦節5、6年、やっと電気が来るんだ。長かったなぁここまで来るまで。市役所に O森さんが怒鳴り込んでくれたおかげです。

アトリエのみんな、もうガソリン買いに行かなくてすむんだよ。節約のために、こまめに発電機を止めたり、エンジン掛けなおさなくて、もういいんだよ。うっうう〜。これは奇跡だ。

畑に囲まれた、我がアトリエは、道から離れすぎていて、電柱を建てる事ができず、自家発電を余儀なくされていたのだ。一応東京だし、特に山の中でもないのに、こんな事ってあるのかと何度も思った。
M蔵村山市民がこのアトリエの存在に対して、何かしら妨害しているという噂もあったが、ガンジー大作戦は、ここでも勝利目前まで来ている。

分電盤は付いているけど、電柱はまだみたいなんで、まだまだ油断はできね〜。これから、どんな村人による一揆が起こるかまだまだわからないからな。ムサムラの壁崩壊予定の日まで、あと4日、油断はできね〜。

2ヶ月が過ぎ
2006年11月08日

とうとう、ベルリンに来てから2ヶ月経ったのだけれど、やっと全てが落ち着いて来たように感じる。やっぱりフランスの時もそうだったけど、他の国に移り住むと、最初の何ヶ月かは、住む家探し、ビザなんかの申請、電話、電気、水道、ネットとかの手続きなど、忙殺されてしまう。英語が通じないとなると、なおさら疲れる。日本語すら、きちんと出来ないオレとしては、本当に嫌になる事の連続だったけれど、どうにか周りの人達の手助けや、アドバイスをいただき、この期間を泳ぎきりました。ふ〜。やっぱり最後の手段は、ガンジー大作戦(わからない人は他の日記読むべし)だね!

暮れ行くベルリンの空を眺めるなんていう心地に、やっとたどりつき、この先の残された時間を有効に使って行こうと、決意を新たにしている。やっぱり日本を出る直前の、凄まじい仕事漬けの日々は、無駄じゃあなかった。つい先日、E氏がベルリンに来ていたんだけど、彼は今、世界中を飛び回って、作品制作をしている。でも、不遇な時は、オレと同じ地下鉄工事とか、いろいろやってた。そこで鍛え上げられたハングリー精神がここに来て、確実に生きてるという話になった。精神論かよ、と言われるかもしれないけど、財力も知性も大して無いオレの様なヤツには、最後は体力と根性しか、武器が無い。

おっと、面倒な事が終わったので、思わず悟りの境地に入りそうです。今夜は、キム(ドイツ人だけど、名前はキム)の誕生日パーティーに誘われたんで、これから出かける予定。それにしても、パーティー多すぎだぞ、ここは。