筑豊 田川郡川崎町にある上尊炭鉱株式会社豊州炭鉱跡。昭和35年に川底が崩落して水が構内に流れ込み67人の炭鉱夫が現在も地底に埋まっている。
当時の写真。坑道入口が慰霊碑のある場所。
この滝壺のようなところが川床が抜けた場所で、大量の水が流れ込み炭鉱作業員の命を奪った。
次は志免炭鉱。
糟屋郡志免町にある志免炭鉱跡地。地下400メートルまで石炭を載せたカゴを上げ下げできる施設。
海軍直営。民間企業が運営する豊州炭鉱とほぼ同時代の炭鉱だが、設備が断然違う。
当時の写真(昭和18年竣工)。ここの石炭で日本海軍の軍艦が活躍してたんでしょう。
現在、鉄筋コンクリート製竪坑櫓以外の建築は運動場や公園になっている。言われなければ炭鉱跡地だとわかる人は少ないはず。
志免炭鉱入口。周りで市民がソフトボールをしたり子供と遊んでいる。
筑豊から福岡市内に向かう場所に、明治鉱 という地名があり明治時代にから炭鉱を掘っていたことが想像できた。週末に糸島に行ってきたのだが、漁港わきの神社に 日露戦争慰霊碑と彫られた碑を見つけ、ちょうど 二百三高知 のDVDを見たばかりだったので、妙なリアリティがありましたね、個人的に。
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